脳性麻痺とコミュニケーション
僕には、かなりの言語障害がある。今は、トーカーがあるので、見知らぬ人でも何とかコミュニケーションを取ることはできるのだが。
幼い頃、学校(普通学級)に通っていた頃は、毎日顔を合わせ、同じ授業を受けていたので、周りのクラスメートは慣れて「イサム語」と揶揄されながらも、ごく普通?にコミュニケーションを取ることができた。
でも、よく考えれば、すぐに分かることだが、コミュニケーションが取れなければ、大人になって仕事なんてできないはず。しかし、幸か不幸かそれを明確に自覚したり、乗り越えられない壁と考えることはなかった。
それに日本で学生をしていた僕は、なぜか日本人より、アメリカ人の方がコミュニケーションがよりやすかった。英語の発音は日本語の発音より曖昧な部分が多い。それがコミュニケーションが取りやすい理由だと思っていた。
でも、実際に留学して、一人でアメリカで生活してみると、アメリカ人はコミュニケーションは取りやすいというのは誤りだと気づく。 確かにアメリカ人は挨拶程度のコミュニケーションはとってくれるが、混みいったディスカッションレベルになると、鼻からコミュニケーションを取ろうとしない。話すアビリティがないと判断される。その点、日本人は聞いたフリをしてくれる。もちろん、友人や仕事仲間だと、親切に聞き返してくれる人もいる。
アメリカに渡り、カレッジで勉強する中で、「勉強ができて、物事を理解できても、コミュニケーションが取れなかったら、働けないんじゃないか? だったら勉強する意味はあるのか?」という疑問が常につきまとった。
幸い、僕には「やってみなけりゃ、わからない。」というおめでたい精神がある。それに1990年代前半、アメリカではすでにEメールが使われ始めていた。それにいくつかの幸運が重なり、アメリカ、イギリス合わせて10年以上、仕事をすることができた。とても感謝している。
それとともに、10代の頃、周りの人から「言語障害があってコミュニケーションが取れないんだから、勉強しても働けないんじゃないかな。」と言われたことがない。そりゃあ、学校を上る度に出願したい学校からの受検拒否などはあったけど。みんな思っても口に出さなかっただけかもしれないが。そのことにも深く感謝している。
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