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2009/12/03

Sweets story

今日は、ある会に参加したあと、友人にニジヤに連れて行ってもらった。

ニジヤで、かなり大量の食料を買い込んだ。今月25日に日本に立つまで、もうニジヤでの買い物は、もう、しなくても良さそうだ。

買い物の途中、その主婦をしている友人に、「お菓子とかは、いらないんですか?」と聞かれた。

確かに、自分の頭の中に、お菓子を買う、というのが、入っていない。別に、お菓子は、嫌いなわけではないが…

自分で、ニジヤに買い物に来ていたときは,『まず、必要なものを買うべし。』という鉄則があった。お菓子は、余分なものであり、必要とさせない。運ぶこともできない。よって、買わない。ある意味、私流・自立生活の厳しさである。

子供の頃は、どうだったのか? 母に言わせると、『あまり間食しない子』だったらしい。お菓子は、食べなかったと言うが? 私が、覚えている範囲では、お菓子は、食べれなかったというのが、本当のところだろう。まず、手が利かない私は、飴やキャラメルの包装紙を剥くことができなかった。要するにお菓子があっても、誰かがいなければ、口にできないわけである。そして、飴玉やキャラメルは、口に入れても、下を使うことが下手で、うまく転がせない。飴玉は、口にいれ、喉につまらせた経験があったかも。好きだったのは、桃の缶詰。やわらくて、甘くて、あまり噛まなくてよい。

道理で、昔、私の膝歩きや、歩行訓練に、桃も缶詰を利用したわけだ。部屋の反対側に桃の缶詰を置いて、あそこまで歩けたら、一つ食べていい。(もちろん、母が食べさせてくれるわけで、自分で食べるわけではないのだが。)一つ、食べたら、その缶詰は、部屋の反対側に持っていかれる。私が歩かないと、演技して、母が食べてしまう。それを、2往復くらいすると、もうお昼になる。今、考えると、私も、よく飽きもせず、こんなものに付き合ってられたと思う。

小学校に入り、少し立つと、お小遣い、500円くらい、もらうようになる。それで、パラソルチョコレートや、アイス・キャンディとか買って食べた。お菓子を買いにいくときは、大抵、母がついていくのだが。

中学に入ると、お小遣いがなくなった。私は、家計が大変なのかと思っていたが、大人になってから聞いたところによると、母は、「どうせ、買い物には、私が、ついて行ってお金を払うのだから、小遣いの必要はない。」これって、大人の言い訳だよね。お小遣いはあった方が良いと、思う。で、サイド・エフェクトとして、買い食い、および、賭け事、という遊びはできなかった。

高校は、3年間、母が付き添ってくれたので、下校途中で…という遊びとかできなかった。

かくして、お菓子とは、未だにあまり縁がない。

コーヒーは、飲むけどね。あれは、高校一年のバレンタインに好きだった女の子にもらったコーヒーカップが原因かもしれない。その後、数年間、毎朝、そのカップで、コーヒーを飲んでいたのだから。まっ、その話は、別の機会に。

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