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2009/11/19

なぜ、DNSは、信頼性の乏しいUDPを使っているか?

学校のClient / ServerのNetwworkに関するエッセーの宿題をやっている。ただ単に、文章で、答えるやつ。その1つにUDPとTCPの違いについて、説明せよという問いがあった。この問いの答えを、簡単に言えば、TCPは、信頼性があり、UDPは、信頼性がない、ということになる。TCPは、送られてこなかったパケット(データー)があるか、検出でき、再送信をリクエストできる。大きなデーターをパケット単位に小分けにして送り、受信側で、組み立てる。UDPは、抜け落ちたパケットを感知することができない。

では、ネットのURLなどをIPアドレスに変換するDNS servverは、なぜ、信頼性の乏しいUDPを利用しているのだろうか? 自問自答してみたら、答えが出た。サーバーに送るリクエストも、返ってくる答えも短く、1つのパケットで済んでしまう。2つ以上のパケットにまたがるデーター、つまりリクエストや答えなら、packet lossは、致命的な障害だが、1つのパケットに収まれば、来るか来ないかの問題のみになり、来なかったら、来なかったまで、不完全なリクエストや答えが存在しない。だから、信頼性の乏しいが速いUDPで十分となる。

元同僚のDNSの専門家に、メールでウラを取ったが、この解釈で正しいと言うことだった。

いちいち、ブログに書くような話題でもないが、まあいいか?

http://www.softpanorama.org/DNS/dns_ports.shtml

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2009/11/17

Javaのちょいミス

学校の宿題で、Java RMI client serverプログラムを書いた。シンプルなヤツ。

そこで、ちょいミス。

RMIServer(rmiregistry起動後のことです)を起動するとき、Security Policyが必要で、システム側に渡さなければならない。そこで、

1。java  FirstProblemServer -Djava.security.policy=RMI.policy
を、やると、バグる。

2。java -Djava.security.policy=RMI.policy FirstProblemServer
で、正常に起動する。

なぜか?

1。では、FirstProblemServerのmain(String arg[])に、policyが、渡ってしまう。2。では、JVM内で処理される。

ちょいミスのポカだけど、やる人、多いかも、僕を含めて。

「Project2.txt」をダウンロード

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2009/11/14

Gちゃんと山歩き、その9

この前、行ったアラストラデロ・パークに行く。天気、曇り、最後に、雨、のち晴れ。

軽い脳性マヒのHさんも一緒。

今回は、整備された道を行き、谷間に入って行く。途中、やや広い野原を突っ切る。少し、ヨセミテ・バレーのような雰囲気だなあと、思った。その先、農場があり、馬ややぎがいた。道幅が狭くなり、林道に入って行く。しかし、とても整備された公園で、車椅子で、悠々走れる。

Hさんも、普通の人より、すこしゆっくりだが、ひょっこりひょっこり、元気一杯。

馬止めのゲートがあり、車椅子で、ギリギリ通る。やや上り坂。沢沿いの道。途中、倒木が道にかかっていたが、車椅子で何とか、くぐることができた。道幅が狭いので、良い子は、車椅子で来ては、いけません!みたいなところ。木橋を、車椅子で渡る。入り口に段差があり、苦労した。まず段差が低いところから、前輪を乗せ、車を元の位置に戻しながら、後輪を乗せていく。1度目は、失敗。車椅子をスタックさせ、Gちゃんに救出してもらったが、2度目で成功。また、新しい技術?を手に入れた。

トレイルなので道幅がさらに狭くなる。また、上の方に、木橋が見える。Gちゃんに偵察に行ってもらった。偵察の結果、行って、いけないことはないが、ダメだった場合、車椅子をスピンさせ、Uターンさせるスペースがない、ということ。少し、スペースがあったので、車椅子を、捨てる。ここまでで、すでに1時間。そして、Gちゃんサポートの元、歩き出す。

体は、初め冷えきっていたが、坂を登るうち、温まってきた。調子が良い。道幅もある。何て、歩くって、気持ちがいいんだろう。そんなこと、思った。木橋をさらに2度、渡った。汗が、頬を伝う。私など、普通の人からみたら、歩けないという部類に入るかも知れない。しかし、歩くのは、本当に、楽しいのである。

(資料映像)

30分、500mくらい歩いただろうか? 歩きやすい道なので、切りがない。道に分岐が出たので、そこで一休み。その斜面を這い上がっていくような道を行くと、View Point(展望台)があるらしいので、健脚なGちゃんに行ってきてもらったが、さすがに、0.6マイル(1km?)のトレイルは長いらしく、途中で、引き返してきた。

そして、我々は、引き返した。30分?歩き、車椅子をゲットし、元来た道を、戻った。

駐車場についたとき、我々は、3時間で4マイル(6キ ロ)歩いたことになった。私は、行程の1/6だけだが。

今日も、御苦労様。よく歩きました。

駐車場で、小雨が降ってきたが、車で帰ると中には、日がさしてきた。

Gちゃんからの差し入れ

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2009/11/12

学校の宿題 その1

今、通っている大学で、Client Server systemのクラスを取っている。
そのクラスの宿題の1つですが、私がどんなことをやっているかの1例として。

ここをクリック(「homework2.txt」をダウンロード) してください。

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食べているところ。

このブログを書いている私が、刺身を食べているところです。家では、こういう風にいつも、一人で、食事を摂っています。

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PHPでの自己紹介。

一昨日の火曜日、San Joseにある、主に自閉症のお母さんの集まり、Parents help Parentsの日本語サポート・グループの交流会があり、参加してきた。お母さんと言っても、私と同年代で、クラスメートと言った雰囲気。ただ、私は、当事者なので、少し、微妙な立場なのですが。

交流会に用意した、自己紹介の文を下に掲載します。これから、徐々に、自分の昔について、振り返る記事を書いていきたいと思います。


茂森 勇 東京都八王子市出身 1968年3月15日 出生

生まれるとき、3日かかったらしい。難産のため、

付随運動を伴うアテトーゼ型脳性マヒ
(生まれる前は、健常者?たぶん、笑)

1歳で、病名がわかったらしい。その時は、まだ、寝返りも打てなかったらしい。

病名が分かり、寝返りから、母による、訓練開始。

「思い込んだら、試練の道を…」巨人の星って言う感じ。
板橋の整枝療護園に母子入園、3回
6歳で、捕まって、歩けるようになる。よく、夕方、

外で遊んでいると、庭の隅に立たされて、8mくらいかな? 歩いて、家まで入るように言われた。
訓練は、別にイヤだとは、おもわなかった。

学校は、初め、養護学校に入れようと、両親は、決めていたが、見学に行って、本人、つまり、私が嫌がったので、家から200mの普通校に。
当時、日本では、障害児が、普通学級にはいることは、珍しかったみたいで、テレビのニュースなどに出る。
でも、母の全介助が条件で、取り合えず、1ヶ月、置いてもらえればいい、という感じだった…らしい。

それで、いろいろありましたが、小学校、中学、高校も、普通の中で、やってきました。母は、毎日、学校に付き添ってくれました。
中学では、英語の先生に、無視されたり、多少イジメもあったかな?
だけど、部活でワンダーフォーゲルで、毎日、歩いたり、階段の上がり下り、山に登ったり、山では、たいがい、負ぶってもらいましたが。
http://sites.google.com/site/isamush01/last-hike  (英語)

高校も、何とか都立の普通校です。受験は、大変で、はじめ、障害者を受け入れることで、映画にもなった私立高校に、憧れて、見学に行ったのですが、中学の担任、副担任、学年主任の先生、校長先生と一緒に、行きましたが、私の障害が、重いということで、門前払い、そういうことが、いくつかあって、都立で身障者用エレベーターがついているところにしました。この学校も、厳しかったのですが。
また、山もやりました。
http://sites.google.com/site/isamush01/essay_yasu

高校で、数学と、物理に興味を持ったので、理系の大学を希望しまして、20大学くらいに受験の申し入れをしましたが、出願の段階で、ダメで、父の会社の上役の方のつながりで、拓殖大学の商学部の経営情報に、まあ、補欠で、入りました。
大学では、勉強もしました。簿記や経済学は、数学がベースにあるので、面白かったし、自然科学の先生のオフィスに入り浸って、パソコンで、ソフトを、書いたり…発表しませんでしたが。
大学1年の冬に、身障者のスキーの全国大会、誰でも参加できる大会だったのですが、参加して、そこに参加していた障害者が、みんな自立している人ばかりで、親御さんとか、介助者がついてきていたのは、私だけで、それから、私の親離れが始まりました。大学3年で、アパート暮らしして、卒業して、留学という形で、こちらに来ました。

バークレイの英語学校に1年。本当は、ストレートで、コンピューター・サイエンス専攻で大学院を狙っていましたが、学士が文系だったため、ダメで、大学も学位が邪魔してダメで、TOEFLのスコアを取って、コミュニティ・カレッジに2年、それで、バークレイのコンピューター・サイエンスの学部に編入。大学院を目指していたんですが、少し疲れてしまって、働き、始めました。最近、ORACLEに買収されたSunにインターンで入って、うまく採用してもらって、1998年から2003年まで、ベイ・エリアで、2004年から2008年までイギリスで勤めました。
2008年に、戻ってきたんですが、今年1月に、リストラで、職を解かれ、今は、学生ビザで、Sunnyvaleの留学生を対象にした工科大学
(専門学校みたいなところ?)の大学院に通っています。うまく行けば、再来年の春には、masterが取れるような感じで、再就職の口も探しています。

まだ、独身なので、ちょっとまだ、2人暮らしにも、憧れますが、こればかりは、分かりません。

Sunにいるときは、web開発や、バグ取りは、8年やりましたが、面白かったけど、何か、鍛えてもらえる機会が、少なく、いまいち、しっくりこなかったところがあります。私も、悪いと思いますが…

(ちなみに、これ書くのに3時間、かかった。なんちゃって。)

またいろいろ、お世話になると思いますが、今度とも、よろしくお願いします。

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2009/11/04

朝は、外で

朝食を、うちで取ると

来客もなく、一日、寝間着で過ごしそうになる。

やはり、朝食は、外で取るべきか? (笑)

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2009/11/03

山道

電動車椅子で、苦労して、山道を走った後に、

街中の、アスファルトの上を走る。

その快適さに、驚く。

人は、いつも誰かの支えがあって、生きている。

そう実感できる、瞬間。

山道も、走ったこともない奴には、想像もできないだろうなあ。

この頃、毎週、山に、入っております、はい!

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