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2009/07/25

ファースト・キス

昨日の夕方近く、衝撃の現場を見てしまった。買い物からの帰り道、民家が並ぶ裏通りを比較的ゆっくり車椅子を走らせていたら、前を歩いていた中学生か、高校生くらいの若いカップルがいきなり抱き合って、ブチューッとかなり濃厚なキスを交わしていた。私は、片目で見物しながら、片目で知らないふりをして、邪魔しないように靜かにそこを通り過ぎて行った。

その時は、それだけでのことだったが、1ブロックもいくと、さっきの女の子の方が一人、全速力で走ってきて、私の車椅子を抜き去り、全速力で走り去って行った。まるで映画の1シーンのような、彼女にとっては、それが、大事な大事な青春の1ページだったのかもしれない。こちらの勝手な解釈だが、私の心のなかに、何か、温かいものが流れ込む思いにとらわれた。私も、そのようなものを、ほのぼのと見守ることのできる歳になったのかな、と思った。

ファースト・キスか? 私には、この歳(41)になるまで、そんな経験ないな。

ちなみに、私もブログなどで、時々、スケベな発言をするが、それは、私のような重度の身障者でも、そういうことは、知っているし、しっかり、そういう欲求もあることを、知ってもらいたいからである。タブーとして、一切触れないやり方もあるが、あるものはあるし、そうした方が楽しいのではないかと、思う。その方が、(他)人とのつながりが、深まると思う。いや、そういう(スケベな)意味ではなく。(笑)

けど、ぜんぜん、その方面の人を好きのなるとか、そういうことがなかった訳ではない。20代中頃まで、小林旭の『熱き心に』の中の、”唇に、触れもせず、別れた人、いずこ…”みたいな感じの人は、2、3人いたと思う。その頃は、本当に、生きる力をもらっていたと、思う。

だが、それもそこまでのこと。30代に差し掛かれば、それが、若者の絵空事のように感じ、自ら、リングを降りていく。そういう方面だけでなく、仕事や多方面に渡り、いくらトライしようが、何かに縛られ、心が凍てつき、自分のできることだけ探すようになる。不可能から、目を反らせる。それは、大人になることであり、社会の枠組みに、組み入ることで、決して、悪いことだと思わないが。

ただ、人は、そのように、社会に組み込まれ、心を凍てつかせたまま、終ってしまうものだろうか? この頃、日々、過ごしていく中で、そうではないように思うことも、多くなってきた。少なくとも、そう感じる。

最近読んだある本には、「つねに、不可能を追い求めなさい。」と書いてあった。また、ある本には、「…ものを与えるのでなく、人に真理を伝えることによってはじめて自分自身が永遠の法悦にひたる事ができる…」と書いてあった。2冊ともまだ、読みかけの本だが、本当のことのように思える。それについ2・3日前、アリス再始動ということで、谷村新司へのインタビューが、朝日新聞のホームページに載っていたが、彼も、まったく同じようなことを言っていたので、感動してしまった。

これから、私の40代が、薮コキをしながら頂上を目指すようなワクワク感に包まれたものになるのか、さらに絶対零度の宇宙空間に放り出されるのか、分からないが、前者であってほしい。本当に、力が抜けたかたちで、不可能に挑戦できるのは、40代以降のこれからだと、感じ始めている。

イギリス人やアメリカ人の友人には、41 is not oldとか、You should get out and see more peopleと言われているし。職捜しや多方面で新たなる可能性の追求もしたい。新しい名刺も作ったし、新しい人に会いはじめたのも確かである。

私のファースト・キスも、もしかしたら、これからかもしれない。でももう、誰も、そんなものにかまってくれないと思うが…、まあ、それもいいじゃないか。


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コメント

>>「つねに、不可能を追い求めなさい。」と書いてあった。また、ある本には、「…ものを与えるのでなく、人に真理を伝えることによってはじめて自分自身が永遠の法悦にひたる事ができる…」と書いてあった。2冊ともまだ、読みかけの本だが、本当のことのように思える。


イサムさん、新約聖書には、「求めよ、さらば与えられん。たずねよ、さらば見出されん。門を叩け、さらば開かれん。すべて求むるものは得、たずねぬる者は見出し、門をたたく者は開かるるなり」(マタイ伝26章64節)という、イエスの言葉があります。

私は、もうじき40代を卒業しますが(^^;、40代のみならず、求め、たずね、門を叩き続ける限りは、必ず扉が開けることと思います。

私たちの中にある「願い」は、それを私たちが諦めてしまわない限り、やがてそれは「永遠の法悦」となって現れるのではないでしょうか。

投稿: ashikabi | 2009/07/27 01:30

ashikabiさん。

ありがとうございます。

文章の材料としては、あまり褒められたものでは、ありませんが、ワクワクしながら、求めつづける言が大事なんですね。

投稿: いさむ@Calif | 2009/07/28 14:17

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