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2007/06/22

すみません・・・

水曜日の夜、(日本時間で、木曜日の朝)下のブログと同じ『夏至の日のお誘い』というメールを、皆様に、お出ししました。目論見どおり・・・と言っては、失礼ですが(笑)、このブログへもたくさんのアクセスが、ありました。ありがとうございました。

お返事をなさっていただいた方も、大勢いると思うのですが、私の手違いか、メール・サーバーのセキュリティに引っかかってしまったらしいです。私が自分に送ったメールも届きませんでした。もう少し、テストして、原因の文字列が浮かび上がってきましたが、http・・・という文字列の一部に問題がありましたが、それ以上は、解明中です。

また、なにかございましたら、ここから→メールください。

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2007/06/20

夏至の日のお誘い

私の父から回ってきたメールで、夏至の日の企画です。ご賛同いただければ幸いです。

詳しくは
http://kibou.main.jp/gogo.html
http://www.tentsuku.com/home.shtml

----- Original Message -----
From: shigemori masashi
Sent: Wednesday, June 20, 2007 11:13 PM
Subject: Fw: Fw:6月22日

皆様、ご無沙汰をしています。  以下のメールは、日本の若者が6月22日20時から2時間、家の電気を消して、ろうそくの明かりで、家族で話し合おう、そして身の回り3メートルの出来る事からやろうと始めた、環境対策です。          茂森 政

Subject:  Fw: Fw:6月22日
Date:  Wed, 20 Jun 2007 20:45:31 +0900
Subject: Fw:6月22日

是非、このメールを読んでワクワクした方は周りの友達に転送して下さい(^O^)
6月22日は夏至の日です。 その日の20時から22時までの2時間、電気を消してキャンドルで過ごす、キャンドルナイトが毎年、世界で行われています。 約100万件の家の電気が消えているそうです。

そこで今年は日本中の電気を2時間だけ消して、凄く二酸化炭素を出している、火力発電の稼働を押さえて、全世界の方に温暖化に歯止めをかける運動が日本中で起きてます。
《ちなみに全世帯の家の電球を1個、省エネ電球にかえるだけで、約100万台の車が消えるぐらいの二酸化炭素を押さえる事が出来るそうです。》

全国4900万世帯の中の3000万世帯に温暖化に対して個人で何が出来るかを書いた号外新聞を配る事も、1万人のボランティアの方々が仕事の合間に配ってます。
ギネス記録です(^O^)/

綺麗な地球を子供達に残す為に個人で出来る事をやってみませんか?
私たちは無力ではありません、微力です。
微力を集めれば凄い事が起きます。
まずは2時間だけ電気を消してみませんか!
是非このメールを多くの方に回して下さい (^-^)

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2007/06/10

小旅行

今日は、会社の帰りに、Guildfordまで、行った。帰りのタクシーの行き先を変更してもらって。もちろん、プライベートなTripなので、料金は、自分もち。ちょっと贅沢した。

Guildfordは、会社から車で南へ30分のところ。今までに2回通ったことはあるが、電車の乗換えか、夜だったので、Readingみたいな大きい町だったような気がするが、あまり印象に残っていない。今日は、天気もよく、あたたかく、ドライブ日和。この季節のイギリスは、日が長く、午後9:30でも明るい。6時なんて、まだ、昼間。M3を一区間だけ走って、A311を南下、A31にぶつかり、東へ。このA31、12月にも通ったと思うが、カリフォルニアのベイエリア、I280に似て、丘陵の稜線を通っているようで、遠くまで見渡すことができ、非常に眺めがよかった。程なくGuildfordに入る。下り坂で、谷底へ降りていくような感じ。駅を過ぎ、橋を渡ると、今度は狭い路地を上り坂。駅周辺以外、とても緑が多く、少し、地形的に八王子の高尾駅周辺ていう感じだった。Guildford Castleに到着というところで、待ち合わせていた日本人のchocoさん発見。待ち合わせ成功!(だったよね?)

今日は、ご主人のYさんも一緒で、食事をすることになっている。Yさんも仕事の帰りでスーツを着ている。歳は、お二人とも私より6歳若い。まだ、陽は高いので、帰りのタクシーを9:30とし、まずは、3人でお城を見学。ちょっと狭い門とくぐると、少しこじんまりとした、庭園になっていた。「ちょうど、お花の植え替え時期ですね。(苦笑)」とchocoさん。ところどころ、城壁の一部だろう、崩れかけ、陽に焼かれて黄色い石壁が遺跡のように点在していた。急な坂道をうねうねと登っていく、特に最後ののぼりはきつかったので、Yさんに後ろを支えてもらい、車イスを転がした。城の天守閣みたいなところ(stone tower)に出る。ここからの眺めは、とてもよく、Guildfordの町が一望できた。やはり、緑豊かな高尾に見ていると思う。なんだか、この眺めはゆったりとしていて、心が落ち着く。

この古城は、12世紀に立てられたものらしい。石碑には、1885年に廃墟となった城を市が買い取って修復したと、あって、寄付した人の名前も刻まれていた。「こういうところに寄付すると、100年先まで名前が残るわけですね。(笑)」と茶目っ気でYさん。気さくな人だなと思った。帰りも、急な坂道は、Yさんに支えてもらいながら、後ろ向きで下りた。この車イス、高速Racing用ではないため、(というのは、ウソだけど)、シートベルトがついておらず、急坂で前向きに直っかると、転倒の危険がある。

Yさんに狭い門を開けてもらい、前よりいくらか緩やかな坂を下り、シーフード・レストラン Loch Fyneに入る。本当は、同じならびにあるフレンチへ行く予定だったが、chocoさんが下調べしてくれて、アクセシブルではないことが判明。Loch Fyneも、2階がダイニングなのだが、しっかり簡易エレベーターが ついていた。chocoさんと2階へ。このレストランは、壁はむき出しの赤レンガ、天井が木の板で、床が・・・(すみません、忘れました)。天窓もついており、明るく、壁には、間隔を置いて、海がモチーフだろうか、大きな絵が、何枚も、飾られていた。なんとなく、カリフォルニア州バークレイのBancroft wayのCafe Milanoに少し似ていた。もちろん、Cafe Milanoは、セルフ・サービスの学生のカフェであるが。

エレベーターの近くの席に着き、ちょっと介助してもらうため、私の右側に座ってもらう。事前にメールで、食事の手はずを、頼んでおいたのである。そして、まずは、ワインと前菜。ワインは、「ドライな白」という私の希望を聞き、Muscadet,2004を、Yさんに選んでもらう。(注:ワインの名前、教えてもらいましたが、うろ覚えだったので、あとでレストランのサイトで、確認しました。) 前菜に、生牡蠣と、スモーク・サーモンの盛り合わせ、ムール貝のプロバンス風煮込みを頼み、まずは、ワインで、乾杯。ワインなんて、私にとっては、半年振り。晩酌、始めようと去年トライしたが、定着せず。このワイン、ドライで口当たりがよく、仕事でちょっと疲れた身体には、本当に最高であった。ワインを普通の細長いグラスに注いでもらい、ストローでグィグィ?やろうとしていると、chocoさんが、「すきっ腹に、一揆はいけません、パンも食べてもらいます。(笑)」と、パンにバターをつけて、一口サイズに千切ってくれた。それをフォークで刺して食べる。

Lochfyne1

メインを選び、少し話をしている間に前菜がきて、戦闘開始、じゃなかった。まずは、生牡蠣をレモンだけで頂く、これは、食べにくいので、chocoさんに口まで運んでもらった。うまい! 次に、酢をベースにしたソースをつけて、もう1つ。ソースをつけたほうが、おいしかった。ワインとの組み合わせもよかった。次が、サーモン盛り合わせ。まず、塩ジャケ見たいなやつ。なかなかいける。次に、紅いレアなヤツ、これは少ししょっぱかった。最後に、ピンク色のものを食べた。そして、ムール貝を頂く。少しさめてしまったが、1つずつ皿に取ってもらい、食べた。

そして、後半戦?突入。おいしかったので、同じワインを追加。メインは、クラブ・ケーキと、Haddock(タラ)と、あと・・・なんだっけ?(すみません、忘れてしまいました。ごめんなさい)。クラブ・ケーキは、要するに、日本のカニ・コロッケで、タラと付け合せのマッシュ・ポテトも、いける味。でも、私は、食べることより、飲むことと、しゃべることに集中して・・・、ちょっと、私の毒舌が炸裂してしまった。人がよいYさんも、「こんなこと言ったら、本当は、いけないんですけど・・。」といいつつ、私の言語障害のある話についてきてくれた。

去年7月から派遣され、日本とイギリスの企業の仲を取り持つ仕事をしているYさん。日本とイギリスの違いとか、イギリスとアメリカの違いとか、日本では、一口に『欧米』なんて言うけれど、イギリスと、アメリカでは、文化的開きが大きいこと、それは、日本と中国の違いにも似ていること、など、いろいろ話すことができ、とても有意義であった。

chocoさんも、イギリスに来る前は、渡英に対して消極的だったというが、来て見たら、こちらのほうが、肌にあっていることを発見したみたいで、毎週末といっていいくらい二人で、イギリス国内外、旅行している。先週末も、なんと南アフリカまで行ってしまったらしい。でも、この二人と、話していると、それが、楽しくてしょうがないって事が、よく伝わってくる。美しい風景に感動したり、おいしいものを味わったり、文化の違いに驚いたり。『どここそといったから、どうのこうの。』とかいった複雑なことより、もっとシンプルなものを求めているような気がするのだ。こんなすばらしい人たちにめぐり合えて、本当によかったと思うし、もう少し、親しくさせてもらえれば、と少し後悔もある。お二人は、1年間の滞在を終え、来月には、日本に帰国する予定となっている。

ちょっと、予定の時間を過ぎてしまったが、タクシーにちょっと待っていてもらい、食後のコーヒーを飲み、お二人に、別れを告げ、帰途についた。今度は、地球のどこで、会えるだろうか?

(これは、6月7日(水)の出来事でした。)

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2007/06/03

A Real Case

先週のことになるが、ネット・サーフしていたら、20年位前、日本にいた頃の友人のサイトを見つけえた。友人というか身障者スキーの先輩のサイト↓ここです。

http://suzukikeiji.hp.infoseek.co.jp/

鈴木敬治さんとは、私が、大学1年の時、初めて参加した身障者スキーの(全国)大会で、同室で、それが縁になった。その大会には、初めてということで、私の母も付き添いをして参加していた。昼間、スキーをして、夜は、飲み会という感じ。敬治さんは、私と同じ脳性まひで、言語障害もかなりある。歳は、33で、少しおじさんぽかった。私の母も、話し好きで、敬治さんの話をよく聴いていたので、気に入られた感じであった。

そしてすぐ、一人で、スキー大会にも参加していて、アパートで一人で生活している敬治さんは、私の師匠となった。大会が終わって、数日すると、敬治さんから電話があった。その頃まだ、言語障害があり、電話などかけられなかった私は、とても驚いた。さらに、当時、まだ、歩いていた敬治さんは、荷物を肩にかけ、一人で、大田区から八王子まで、電車に乗って、遊びにきた。それにも、驚いた。もちろん、脳性まひなので、転ぶように、前屈みになり歩くのであるが、脳性まひで、一人で出歩くなど考えても見なかった私には、革命であった。その3月に、泊まりの飲み会に誘われ、両親に送り迎えだけしてもらって、はじめて、一人で外泊した。トイレ、食事、着替え、移動、すべて、人の手を借りるわけである。敬治さんには、「今度は、一人で来いよ、もう子供じゃないんだから。」と言われた。

そして、私は5月には、他の先輩に誘われて、身障テニスの合宿に参加したり、大学のキャンパスがある高尾から家まで、大学の友人の協力を得て、透明人間になってもらい、初めて、電車を使い一人?で帰宅した。その勢いで、7月には大学のゼミの合宿にも、保護者なし(笑)で参加した。

そして、その8月、長野の立山で行われた夏スキーの講習会に、八王子から、敬治さんと二人だけで出かけた。、自分の荷物も肩に掛け、集合場所である大町まで、電車で、行ってしまうと計画し、実行したのである。立山の帰り、敬治さんから、「お前、合格。」と、言われた。それが、私の自立生活へのブーティングであった。

その後、私が、アメリカに渡ってしまい、ちょっと、疎遠になってしまうのだが、実家に年賀状をもらい、アメリカから電話したことがある。そのとき、敬治さんの電話の向こうに、ヘルパーの中年女性がいたらしく、「敬治さん、これ、どうするの。」とか、聞こえてきて、敬治さんも、それに答えて指示を出していた。前より、元気そうな声だった。

敬治さん、子供のころ、実家が商売をやっていたし、養護学校だから、あまり、満足いく教育を受けられなかったのかな、日本語の文章を作るにも、少し、難がある。ただ、そういう基本的トレーニング受ける機会が少なかっただけで、頭は、しっかりしている。私とスキーをやっていた頃は、少し、元気がないように見えていたけど、ヘルパーさんという、しっかりコミュニケーションが取れ、自分の思い通りに動いてくれる助っ人を得て、水を得た魚のようだった。

ところが、その敬治さんに、介助費削減という難が、押し寄せる。特に、若い頃、カナダまでスキーに行ったこともあり、一人で、危険を顧みず、どこでも出歩いていた、行動派の敬治さんにとっては、2005年4月から外出介助が、月124時間から、32時間にカットされたことの痛手は、大きかった。自由人として、いろいろなところに顔を出し、活動してきたのが、出来なくなる。それで、区にその決定を取り消すよう陳情するが、受け入れられず、『鈴木訴訟』を起こす。私が、見つけたのは、その裁判の支援のサイトだった。

この裁判は、支援法が変更されたため、去年、訴えは却下という形で終わるのだが、内容的には、敬治さん側の実質的勝利であった。サイトからのリンクで、敬治さん側に立った藤岡弁護士のインタビューが載っていた。

http://www.lawandpractice.jp/suzuki1.html
とても、意味深いインタビューなので、長いのですが、ぜひ、読んでみてください。

この裁判の争点が、障害者の『生存権』でなく、『幸福追求権』だったこと、敬治さんは、自分のためだけでなく、他の障害者のためにもなるから、訴訟を起こしたということ、また、藤岡さんのコメントが、心に残った。

『ですから、その中で市民運動と弁護士が信頼関係を構築していく期間というものは、そう一朝一夕では行きません。私自身も、鈴木さんや、鈴木さんを支える人たちとの信頼関係を構築していく期間というのはやはり一定程度必要でした。そういう問題が起きたときに、弁護士のところにすぐ裁判を依頼します、と来るほど、まだ弁護士は信頼されていないということですね。』

『まだ弁護士は信頼されていない・・・』って、すごくフェアなコメントだなと思った。

最後に、敬治さんのコメント。
http://suzukikeiji.hp.infoseek.co.jp/061129suzukimessage.htm

敬治さん、区の職員を可哀想と、言ってしまうところ、自由人だな、と思う。

P.S.私の場合、労働ビザで、イギリスに来ていますので、イギリスからは、自分で稼げるということで、補助が出ていません。レンタ・カー代くらい出しますので、どこか、連れて行ってくれる方、大歓迎で、お待ちしております。(爆) でも、会社は、会社持ちのタクシーで通っているので、文句は言えませんが。はい。

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