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2006/12/23

The Epilogue of Voyage

12月14日から12月21まで、私の高校のクラスメート、T君が、はるばる日本から来て、一緒にヴァケーションしました。T君は、21日朝8時、うちを出て、霧のHeathlowから、帰国の途に着きました。飛行機の中、シベリア上空では、オーロラも見えたそうです。そして、24時間掛けて、自宅の八王子の高尾に着いたそうです。

今回の旅、といっても、遠くまで行って、泊まったわけではありませんが、とても感動した旅で、夢のような1週間でした。渡英する3日前に国際免許を取ったと言うT君と、車の運転ができず、言語障害もあるナビの私で、6日間で、およそ800マイル、1200キロ、駆け抜けました。美しい風景や古い町並み、私にとっても初めての道が多く、1日に1・2回、ナビの不徳で、ミスコースすることは、ありましたが、T君、私の指示に従って、長時間運転して、目的地では、車イスを時に汗をかきながら、押していました。私も、英語では少しは、彼の役に立ったようです。というか、不完全な、野郎二人で、異国の地を走り回ったっていう感じでしょうか?

そこで、味わった感動は、言葉になりません。昨今、日本では、中学生のいじめや自殺が取りざたされていますが、人間て、感動するために、生きているのではないかと思います。感動は、自分から、取りに行くものでなく、与えられるもの。与えられる感動をしっかりキャッチするためには、日々、しっかりやっていくこと、人を信じること、(実は、それが、結構、難しいことでもあるんですが)が、大事だと思います。今回は、それを強く感じさせてくれる旅でした。

文章の方は、このクリスマス中に終わらせたいと、思います。私のデジカメが、使えなくなっていたため、写真の方は、T君がCDに焼いて送ってくれるようです。それまで、少し時間が掛かりますが、ご了承ください。

(Cambridgeにて、Chocoさん、撮影。)
Cambridge1

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2006/12/20

The Last Day

(下書き)
Bracknellで、車を返却後、電車で帰宅。夕方、Camberleyで観劇。

(ただ今、作成中、しばらく、お待ちください。)

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2006/12/19

Day five Kew Garden

(下書き)
すごい霧の中、Kew Gardenへ行った。帰ってきて、T君が作ってくれた、日本食の夕食が、うまかった。

(ただ今、作成中、しばらく、お待ちください。)

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2006/12/18

Day Four Cambridge

(下書き)
Chocoさんも一緒に、Cambridgeに行った。

(ただ今、作成中、しばらくお待ちください。)
Chocoさんの記事

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2006/12/17

Day Three Brighton,Seven Sisters

(写真をクリックすると、拡大できます。)

Brighton01 
今日も天気に恵まれた。僕は、当初、2000年前に栄えたと言う古代都市Bathを候補地に選んでいたが、自然派のT君、南のBrightonと海岸沿いの白い壁で有名なSeven Sistersに行ってみたいと言う。イギリスの田舎道は、狭くて、ドライバー泣かせなのだが、私も本当は、そっちの方に行ってみたかったので、迷わずに変更。ナビとしては、ほんの少し予習。幹線道路を行く、M3→M25(south)→M23が妥当なルート。

天気がよい中、M3からM25へスムーズに流れていたが、M25を走って少し行くと50マイル規制があり、詰まりはじめた。これが、よく聞くM25の渋滞かと思っていると、工事渋滞であった。T君が「M25って、ウルトラマンの星じゃなかったっけ」と、…やはり言ったか。(笑) M25からM23に乗り換え、南下。 太陽が、まぶしい。周りは緑の畑、行く手に丘陵。どこかで見たような風景だなと思っていたら、カルフォルニアのI80、サクラメントからベイエリアに帰る道に似ていた。ドライブとしては、最高のコンディション。丘を越え、一般道になる。Brightonの街へ入る。白や黄色の壁の建物が多く、サンタ・クルーズに似た町。海辺の街だからか。

海岸の道路に出て、パーキングを探す。ちょっと入った路地に、車を止め、浜辺の方に歩く。(車椅子) 海岸の道路から海辺に降りる歩道があり、降りていくと、土産物屋や画廊があった。その一角、スタンドがあり、フィッシュ&チップスをコークを買って、ピクニックベンチで昼飯。食事の下手な僕がチップス(ポテト・フライ)を溢すと、鳩が群がって、それをついばみ、きれいにしていく。外で食うランチは、やはりうまい。寒いけど、太陽は輝き、海は青い。海の向こうは、フランスか?16年前、カリフォルニア・バークレイの英語学校で、机を並べたフランス人の友達も、住んでいるのかな?などと、思ったらフランス側の建物のスカイラインが、かすかに見えるようであった。
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ビーチの土産物屋を見て、海岸道路に上がり、ブライトン・ピア(桟橋)へ行く。桟橋は、長く、しゃれた建物もあってホテルかレストランかと楽しみにしたが、中は、ゲームセンターであった。先端の遊園地まで行って、戻ってくる。桟橋は、細い板が敷いてあって、本来、車イスは通りにくいが、その上に車イス&ベビーカー用だろう、ベニヤ板が敷いてあってアクセシブル。
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車に乗り込み、A259を東に、Seven Sistersへ、急ぐ。まだ、午後2時だが、日が沈むまで、2時間足らず。 A259は、海沿いを進む道がだが、米カリフォルニア州、サン・フランシスコから南下する1号線か、子供のころ通った山陰から北陸にかけてリアス式海岸の若狭湾を走るようで、アップダウンがあった。ところどころ集落があり、それを結ぶように、道がつががっている。急なのぼりを登ると集落あり、それを過ぎるとまた下り、草原のような緑の原野で、遠くまで見渡すことが出来た。そんな道を1時間、走っただろうか?気がつけば、もうSeven Sistersについてもいい距離である。丘の上、右に入っていく道を見つけ、入っていくが、どうも変だと、引き返す。結局、丘を下りきったところに、集落があり、農道のような細い道が一本、海に向かっていた。そこを入っていくのが正解であった。

その細い道は、いったん海岸近くに出て、向きを変え、急勾配の斜面をジグザグに登り、丘の上部に出て、また海に向かう。広々とした高原のようだ。道端の狭いパーキングは、その海よりの一番奥にあった。T君が車を下り、草地に上り、その草地の途切れるところまで、歩いていった。まるでゴルフ場のフェア・ウェイだが、その途切れたところが、つまり断崖絶壁の上である。車の中からも丘がすっぱり切れた先、巨大な建造物のような白い絶壁が見えた。
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T君が車に戻り、今度は、私の車イスを下ろし始める。「外へ出ろ。」と言うわけだ。僕も外に出たかったが、草地とのギャップがありすぎ、車椅子を上げるのは大変だろうなあ、と思っていた。が、ドアを開け、車イスに乗る。T君が車椅子を押し、少し勢いをつけ、1mくらいの土手を草地へ上げてくれた。車椅子を絶壁の端の方まで運ぶ。僕は、高いところは好きだが、苦手で、3mくらいのところで勘弁してもらう。柵も何もない、高さ100m以上の真っ白の壁の上、下をうかがうと吸い込まれていきそうで、海に向かって、飛んでもいけそうで、体がバランスを失い硬直した。昔登った、奥秩父・金峰山の千代の吹き上げを思い出した。
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右を見れば、丘が、スキーで言えば、中級者ゲレンデ1面分あるだろうか、その上に小さく灯台が立っていた。灯台に向かって、舗装もはげかけたでこぼこの小道が、急勾配を駆け上がっていた。T君がそちらへ車イスを向ける。まさか・・・と思っていると、その小道を登り始めた。でこぼこで、前タイヤを溝に取られやすいその小道、ぐいぐいと高度を上げていく。傾斜がきついので、僕は前かがみになる。5分も経ってないと思うが、丘の中腹。T君は、息を切らしている。振り返れば、パーキングの車が下の方で小さい。T君が一瞬でも車イスから手を放せば、僕は、下まで転がっていけそうな感じ。スピードがつきまくって、それで・・・みたいな感じ。さえぎる木とか一本もない。僕は、本心は、もっと行きたいのだが、恐怖心と、T君の労力を考えると・・・、「ここで、いいよ。」言った。と、肩でぜーぜー息しているT君は、
  「俺は、嫌だね。」
と、鋭く答えた。「連れて行ってあげるよ。」でも、「一緒に行こうよ。」でもなく、「俺は、嫌だね。」と。そのずしりと重い言葉。なおも、はーはーと一歩一歩、登っていく。左は海、右は遠くまで見渡せる緑の大地。一歩一歩、高度感が加わり、高層ビルの外の非常階段でも登っているようで、気が遠くなりそうだ。僕も、背あてにもたれたら、そのまま後ろにひっくり返りそうなので、前傾を保ったまま。T君には悪いが、とても寒い。そのうち、傾斜が緩やかになり灯台に着いた。といっても、道自体傾いているので、油断できない。い車イスを草地に上げてもらい、右手で灯台の敷地の金網をしっかり握り、記念撮影。足元2mくらい先は、150mくらいの断崖。一中ワンゲル部、館高トレッキング部OB、Seven Sisters登頂しました。って、わずか海抜150mほどで、自分の足で登ったわけではないが、日本から、アメリカを経て、イギリスのこんな南端まで来れたこと、T君の惜しみない協力を思うと。喜ぶのが、もったいないほど、嬉しかった。
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T君が、ポツリと「こんな高いと自殺する気にもなれないなあ。」と言った。彼が岩の突端から一かけ岩をすくう。やわらかい、ぼろぼろのチョーク。灯台の敷地を囲うコンクリに字が書けた。この断崖も毎年40cmほど、侵食され、この灯台もいずれ、消える運命にある。下りもT君は、慎重に下ろしてくれた。急なところはバックで。
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車に戻り、帰路に着く。夕日が、白い壁をピンク色に染め始めて、やがて、雲の向こうに隠れ始める。起伏のある緑の丘をいくつとなく越えていく、夕焼けのドライブ。丘の下、蛇行してやがて、海の注ぎ込む川が夕日を映すかのようである。ひなびた村々にも味わいがある。そのような周りの景色に、心を奪われる。ずっと黙って運転していたT君が、「こんな綺麗な景色の前に、言葉が出てこないな。」と一言いった。そして、日が沈みかけ、あたりが影絵となり始めえ、家の中に明かりがともり始める。T君が、とっぴ押しもなく、「高校のころ、彼女いた?」と聞いてきた。僕は、「いたよ、ほかの高校だけど。」とだけ答えた。

確かにいた。小学校1年生で後ろの席。新設の小学校が出来たため、そっちに行ってしまうが、中学が一緒で、なんだかその間、ずっと僕を見守っていてくれた子。高校は違う学校になってしまうんだけど、他の友達たちが、みんな離れていってしまうように見え、見捨てられたようにさえ感じたとき、彼女だけは、その強い流れに逆らうかのように変わらず、学校やアルバイトの帰りに、会いに来てくれた。高校時代、クリスマス・イブにも、アイスクリームを持ってひょっこり現れた。物理的には、母が、送り迎え、学校待機で、依存していたが、とても厳しかった高校、彼女が、心の支えだった。アルフィーのファンで歌が好きだった彼女。中村あゆみの『翼が折れたエンジェル』とかも、ヒットしていた。
  そのころ、理系志望だった僕は、「大学は、理系に行き、大学の近くにアパートを借りて、一人暮らしする。コンピューターのプログラムのバイトして、週末など彼女に、アパートに来てもらおう・・・。」なんて、考えていた。文系の大学に進むなんて、夢にも思わなかったし、頼まれても、お断り。でも、時は、そんな風に進むことは、なかった。障害を理由に多くの理系の大学から出願自体断られ、僕は、文系の大学に入学した。あと何年経てば、自立できるか、分からない状態。僕の彼女との夢ももろく崩れ、振り出しに戻る。彼女も、高校を卒業して、社会人になり、新しい世界に飛び立ったのか距離を置き始める。そして、僕は、アメリカ留学を決意する。人生に、たら・れば はない。でも、あの時、理系に進むことが出来たら、僕も彼女をたやすく、あきらめなかっただろうし、人生、変わっていたかもしれない。彼女の好きだった曲、堀内孝雄の『いとしき日々』、そのさびの『~もう少し、時が、やさしさを見せたなら~』。もう少しだけ、時代がやさしかったら、あの時、理系に進むことが出来たら、そして、今、もしかして、ドライバー席に彼女が座っていたなら、美術に敏感な彼女は、T君と同じように、「美しすぎて、言葉が出てこない。」と言うだろうなあ、と思った。僕の20歳の誕生日、彼女からの最後の手紙には、「ウインター・スポーツ(スキー)、はじめました。もう病み付きです。」と、彼女は、体育苦手だったんだけど。僕も、同じころ、別の場所で、スキー病に掛かっていた。
  そして、T君、「それで、その彼女、どうしたの?結婚しちゃったか?」と、僕は、こっくり、うなずいて、あと何も、言わなかった。僕も、両親から、ずっと後で、聞かされた話なのだが。
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車は、日がとっぷり暮れたころ、Brightonをとおり、内陸に進路を変え、M23→M25→M3と、星屑の下を走り、少し、遠回りして、ガソリンを入れた。T君、ガソリン・スタンドで、英語にちょっと、まごつき、今考えると、僕も行くべきだったと思うが、何とかこなしてくれた。カトリックのイギリスらしく、24時間ストアが、日曜日で閉まっていて、買出しできず、その夜は、アパートの近くの大衆のパブで、夕飯を食った。

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2006/12/16

Day Two London

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8時ごろ起床。今日はロンドンへ行く。T君に玉子焼きを焼いてもらい、冷凍してあったクロワッサンを電子レンジで1分、温めて、賞味期限が切れたサラダとコーヒーで朝食をとる。やはり出来立ての朝食はうまい。シャワーを浴び、11時前、出発。今日は、天気がいい、厚手のフリースだけで、ジャンバーは持たなかった。これが間違えのもと。

電車と電動車椅子で、行くことも考えたが、この春にゲットした愛車は、いまいち、耐久性に信用がない。八王子の実家で、3キロくらい走行?しただけ、メーターが赤を指した。バッテリーだから復元力はあると思うが、イギリスに来て3年弱、まだ車でロンドン入りしたことがなかったので、自称、走り屋としては、1度はやってみたかったのも事実。
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Bagshotから、M3をロンドンへ。天気が快晴。「UFO、見えるかな。」なんてT君。M3が程なく終わり、A316に続き、いくつかRoundaboutsをこなし、A205、A3205と、うまく走り、予定なら、テムズ川南岸、観覧車を見るはずだったが、車は、テムズの南岸を走り、橋を北側に渡ってしまった。ナビとしては、不覚。でも、東の方向へ走っていたら、見覚えがある道が出てきて、産業革命のシンボルでもあるBig Benの前に出た。T君、「茂森と、こんなところまで来るとは、思わなかった。」と、感動してくれた。

トラファルガー広場のパーキングに車を止めて、車イス。ロンドンの中心部。ピカデリーへ行き、レスター・スクエアへ回る。クリスマス前で、人、人、人。T君、車椅子を押し続ける。自称、旅回りの劇団の大道具の大工のT君、本職は・・・、見せる方の人。芝居の裏の裏まで知っているのだ。それに気がつかなかった僕も、間抜けだが、T君、唯一、日本に来ていない『Blue Man Group』を見つけ、見に行こうと言い出す。T君がボックス・オフィスに行って聞くと、車イスは座席の関係で、直接、劇場でチケットを買うようにとのこと。T君の英語力も、なかなかである。
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渡された地図をもとに、劇場へ向かうが、New London Theatreは、結構、遠かった。細い路地をいくつも越えていく。晴れているが、とても寒かった。車椅子を押してくれているT君は、すでに上着を腰に巻きつけているが、僕は、動かないので、体温が奪われるばかり。運んでもらっている方は、文句を言える身分ではないのだが、体が冷え切ってしまうので、その上着を借りた。話は反れるが、気温2・3度の町で車イスに揺られているより、-15度くらいのスキー場で体を動かしている方が、寒さを感じないのではないか。劇場に着き、チケットをおごってもらう。開演、午後3時。ただ今、1時半。

飯を食おうと、劇場をあとにする。近くに、有名なコペント・ガーデンがあり、行ってみるが、ものすごい人ごみと石畳は、車イスと、相性が悪かった。テムズの方に下り、ストランド通りのパイ屋で、パイの包み焼きを食べる。中は、ビーフ、ココアで体が温まる。パイは食べにくかったので、食べさせてもらう。こういうとき、旧友は、憶測なく頼めるのでいい。車椅子押すの大変か、聞くと、「大道具をなめる気か。」と一喝。失礼致しやした。パイ屋の道路挟んで向こう側も劇場で、「あの大道具はね、重くて、大変。」と彼。見せる側の人間である。
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併し、ロンドン、説明できないが、とてもエネルギーに満ちた都(まち)である。行きか人々やショーウインドウを見て、来るたびにそう思う。

余裕を持って、劇場に入る。入り口で、アジア系の若い女性スタッフに誘導を受け、裏口エレベーターへ向かう。僕らが日本語で話すと、なんと、日本から来て働いている女の子であった。はきはきしていて気持ちがよく、かわいい。久しぶりに?、日本人の女の子にあった。この劇場には、もう一人、日本人の女性が働いているようだ。

Blue man Group』がはじまった。このショーは、黒い服をきた頭から指先まで、異様に青い3人の男で、演じられ、台詞がなく、パフォーマンスといった方がいい。オープニングから、水を使ったクリエーティブなアートで、ギャグも多い。ネタを次から次へと替えてくる。観客も、巻き込む。エンディングも壮大な流れるようなアートで、想像がつかず、ものすごかった。これ以上言うと、ネタばれするので、止めとく。知りたい方、メールください。

終わりも、日本人のスタッフの方が来てくれるかと思ったが、ほかの人だった。自己紹介、メール・アドレスの交換の機会を失ってしまい、少し残念。冗談だけど。

日が暮れた夜の、人もまばらが裏通りを、ピカデリーへ向かう。裏路地の方が雰囲気あっていいと、T君。ピカデリーの三越の地下ですしを食うことしか、頭にない、僕。三越に着くと、レストランは、6時から、ちょっと間があったのでテムズまで散歩して、また戻ってくる。今度は開いていた。1階の入り口に、車イスを置き、手を支えてもらい歩いて階段を下りた。
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前菜に生牡蠣、そして、すしを頼んだ。僕は、日本で食べて以来、6ヶ月ぶりの本格的なすしなので、上に手が伸びた。T君は、中でいいという。遠慮しやがって、と思ったが、旅回りの劇団員は、全国行く先々で差し入れがあり、地元のおいしい店を紹介され、舌が肥えてしまうそうだ。うらやましい限り。すしを食べながら、昔話にも、花が咲いた。と言っても、T君の話は、自慢や、昔はよかったなと言った類の話ではなく、いろいろなことがあって、落ち込んでいるやつがいて、そいつを陰で支えていたやつがいたことなど。僕も、その友達、変におとなしいとは、思っていたが、母の送り迎えで、学校行っていたし、放課後の付き合いもできず、声かけもしなかった。僕も、高校時代もきつかったが、20代から30代にかけて、また違った意味で、きつかった時期がある。今にすれば、おとなしかった彼のつらい気持ちがよく分かるのだ。高校でも、よき友達に囲まれていたことを今さらながら、嬉しく思う。

この、すし屋で、気がついたことがある。それは、日本人の店員さんの態度がいいこと。僕が日本にいた20年前は、まだ、僕なんか障害者が店に入ると、奇異の目で見られ、打   ち解けることが、なかなかできなかった。自然と、付き添っていた母の話術が、鍛えられ、それをカバーするのだが、今回は、たとえば、フォークを床に落としてしまっても、すぐ、替えのフォークををナフキンをつけて持ってきてくれて、「ありがとう」とゆっくり言うと、微笑み返してくれた。欧米では、こういうことは、自然なのであるが、日本人から、受けるのも、嬉しいものがあり、励まさたような気分になる。日本もだいぶ変わってきたな、と思う。

車に戻り、帰路。夜なので、一番分かりやすい道にした。A4を追って、テムズ河岸を走り、M4に入る。ロンドン環状のM25に入り、M3をゲットすることになるが、ジャンクションでミスコース。一つ先で出て、引き返してきた。
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2006/12/15

Day One Stonehenge

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8時ごろ起床。T君も起きてくる。シャワーを浴び、10時ごろ、Town Centreに朝食しに出かけた。ATMで現金を下ろし、なじみのカフェへ。カプチーノをクロワッサンと僕、コーヒーとミートパイのT君。ミート・パイが「肉まんみたいだよ。」と二人で笑った。顔なじみの若い店員が挨拶に、ハグしてくれる。(別に書かなくていいことだが。)

アパートに戻る。前日、メールで、11時に、タクシー予約入れておいたが・・・、20分経ってもこない。催促の電話を入れると、知っているドライバーが出てきて、僕の声で、「ああ、君か、どこ行きたいんだ?、とりあえず、車回す。」と、メールが伝わってなかったらしい。まあ、いいよ。いつもの運ちゃんが、Bracknellまで、20分の道のりを、運んでくれた。

レンターカー屋。ネットで、予約を入れておいたので、借りる手続きもスムーズに進んだ。T君には、イギリス英語はちょっときつかったようだが、「I'm sorry, I can't understand English.」と、僕に立場を渡す。係りの人も、僕に話しかける。僕の手押しの車椅子を見て、乗用車から、ミニバンに車種を変更してくれる。とても親切に対応してくれた。

車に乗り込み、パーキングに出て、まずは、運転環境確認。イギリスは、日本と同じ左側通行・右ハンドルだが、ワイパーとウィンカーのノブが左右逆についているらしい。ちょっと、やりにくそうだが、公道に出て、Bagshotを目指す。比較的道幅が広いA322を南下。でも、イギリスの道、Roundaboutが、いたるところに、待ち構えている。このRoundabout、日本で言えば、駅前のロータリーに似ているが、交差点の代わりに、これがあり、左から、円に入り、時計回りに回る。行きたい道が出てきたら、左に出て行く感覚、たとえば、十字路で、左折なら、1つ目を出る。直進なら、2つ目、右折なら、3つ目、となる。自己流のナビだが、イギリスでは、その方法がいいようだ。
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A322、森の間を進む。Bagshotに着くころ、曇り空から雨が落ち始めた。ワイパーが自動的に動き出す。ちょっと、二人で、感動。A322から、大きなRoundaboutを回り、Motorway3、略して、M3に入る。日本で言えば、高速道路。Stonehengeを目指す。

僕の家があるCamberleyを通過し、金曜だから、同僚たちが仕事しているオフィスを気分よく、通過し、景色は、林から、遠くまで見渡せる広々とした田園風景へを変わっていく。冬なのに畑は緑。羊や、馬が、草を食んでいる。向かう西の空は、幾分明るい。雨は、程なく上がり、路面が乾いている。M3からA303に乗り換え、なおも走る、思ったより遠いので、車を止め、確認するが、まだ先のようだった。ナビ、予習不足。やがてA303が、一般道になり、Roundaboutを2ついくと、丘の向こうにStonehengeが見えてくる。ちょっと、感動的。ここまで、出発して約1時間。

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隣の牧草地を整地したような駐車場に車を止め、T君が、車椅子を出してくれた。ゲートで、入場料を払い、トンネルをくぐり、Stonehengeのすぐ前に出た。広々とした草原に、大きな石の建造物。この石を円形に並べて、持ち上げて作った建造物、なぜ、こんなものを古代人が作ったのか、その動機は謎であるそうだが、ある種の古代人からのメッセージ、感動が伝わってくる。人々が集まる神殿のようなものだったかもしれない。曇っていて、寒いけど、いつも部屋の中で仕事をしている僕にとっては、心が地平線まで、広がっていくようで、気持ちがいい。
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T君が車椅子を押し、1周する。草地は、やはり少し押しにくいようだ。「俺も、入院している間、車椅子、乗っていたんだよな、あんまり、覚えてないけど。」、この春、作業中、舞台の上、15mから落ちて怪我した彼は、そう言った。1周、終えるころ、小雨がまた、少しやる気を出して、降り出した。お土産を見て、コーラを買い、車に戻る。
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帰路は。雨の中。イギリスの冬、薄暗い昼間を走った。「パブに寄ろう。」と僕が提案する。家が近づいて、オフィスの出口でM3を下り、Heron on The Lakeという少し大きい洒落たpub Restaurantに行く。予約が必要のようだったが席を作ってくれた。中は、丸太作りで、旧家といった内装、クリスマス・シーズンなので大きなパーティ客が何組かいたが、ちょっと高級な落ち着いた雰囲気。椅子やテーブルも、そろいのものでなく、1つずつちがい、どこかのフリー・マーケットにあるようなもの。T君は、フィッシュ&チップス、僕は、ソーセージとマッシュポテトを、ろうそくの光で、食べた。やはり、木の家はいい、腐りかけた、むしりたくなるような丸太を見ていると、心が、落ち着く。仕事で家の内装なども手がけているT君も、「今は、紙の内装が多いからね。」と、同意見。そして、午後5時半。日もとっくにくれ、夜になった家路を、僕らは帰った。
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2006/12/14

Day Zero 彼が来た

彼は、高校のクラスメートのT君。別に、それほど、親しくしていたわけでは、ないが、悪がきクループの一人。おとなしいやさしいやつだったことを覚えている。20年以上前になる、修学旅行は、同じ班で、京都では、清水寺への急な上り坂を、「僕が交代します。」と、息を切らした母に代わり、私のバギー(乳母車)を押してもらったりした。高校卒業後は、何年も会っていなかったが、T君のご両親と、うちの親がつながりがあった。それで、なぜか、遊びに来ると言う。

午後3:45分。Heathlow着。迎えに行こうかと思ったが、1ヶ月前のメールで、道順を送ると、「大丈夫」と言うので、その日は、家で、待機。6時ごろ、仕事の合間に駅へ見に行く。下りて来ない。アパートに戻り、メールを見ると、5:40ごろ、ケイタイから、メールが入っていた。「今からバスに乗る。」。少し、安心、7:30,8:00と駅へ行くが見当たらない。

8時過ぎて、電話が鳴った。「今、どこ?」「Reading」「???」・・・ Readingは、通らないはず。あとから聞いたが、Maidenheadで、バスから降ろされたらしい。方角としては、逆なんだけど、でも、海外2度目で、初日に一人旅して、公衆電話を使うとは、ものすごい実力。

11時過ぎ、電話が鳴り、駅に飛んでいく。と、暗闇の向こうから、リュックを背負った黒い人影が・・・彼であった。挨拶もそこそこに、一緒に、アパートに戻る。「大丈夫だった?」と私。「オレ、こういうトラブル、好きなんだよ。」と頼もしいT君。

部屋に入ると、なんだか、暖かい空気を感じた。つまり、今までずっと生活の中で、ガードを上げていた自分に気付いた。ガードを下げて、昔の自分に戻れる感じ。「腹減った。食うものある?」とT君。「台所のフリーザーにスパゲッティがあるから、電子レンジであたためて食べよう。」と私。そして、スパゲティを食べ、明日の予定を話し合い、就寝。

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2006/12/10

世界1周旅行・草案?

笑ってやってください! 夢も夢でなし・・・かな? このブログや掲示板に書き込みしてくれた皆さんのご希望?にお答えして、こんなことを考えました。冗談ですが。

1.まず、イギリスからニューヨーク経由で弟のいるオハイオに入る。
 姪、甥と遊ぶ。
2.カリフォルニアのサン・フランシスコに飛び、Kさん、Yさんと遊ぶ。
  お子さんたちと遊ぶ(?)
3.L.A.に飛び、Rikaさんと、Disneylandへ行く。
4.日本へ帰国。成田で待ち合わせして、両親とすしを食べる。
5.そのまま、トランジットで、オーストラリア、シドニー便へ乗り、いざいざさんにお会いする。
  必要ならば、キャンドル・ショップで、客引きを手伝う。
6.インド、バンガロアーに飛び、会社の元上司、スタッフと懇談、打ち合わせ。
7.イギリスに帰還。

夢はでっかく! 皆さん、ご協力、ありがとうございます!(笑)
参考資料:
http://www.geocities.com/isamush01/essay_present_2006_6.html#start

なにか、文句?ある方、コメントへどうぞ。

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2006/12/03

冬の夜に思ふ

イギリス、冬の夜は、長い。
4時ごろ、暗くなって、朝8時まで。

ふと、考えた。生きている時間の半分は夜だ。
ただ、寝ている時間が長いだけ。
寝ている時間が長いから、気づかないだけ。

人生も同じかもしれない。
半分は、闇の中。
いくら光を求めても、闇の中。

だったら、光を待ちわびるより、
闇の中を歩いていこうじゃないか。

そう考えたら、肩から力が抜けた。

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