slide test
OpenOfficeと、英語の合成音声と、Windows Movie Makerで、プレゼンテーション作成のテストをしてみました。これで、言語障害があっても、そこそこプレゼンができることが、証明されたでしょうか? ちょっと、大袈裟か、それは?
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OpenOfficeと、英語の合成音声と、Windows Movie Makerで、プレゼンテーション作成のテストをしてみました。これで、言語障害があっても、そこそこプレゼンができることが、証明されたでしょうか? ちょっと、大袈裟か、それは?
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言いたいこと、言ってしまうけど、
電動車椅子を、健常者が使ってもいいと思う。
例えば、夏の暑い日、東京。
外回りのセールスマンに、電動車椅子って、いいかも。
あと、子供連れのお母さん。後ろにかごをつければ、自転車より安全。
もし、電車にもスロープなしで乗れて、車椅子専用車両が出来、
ガソリン・スタンドや自転車屋でも、電動車椅子の修理ができれば、
かなり、普及して、車椅子の価格も劇的に下がるかも。
要するに、意識の問題なんだよね。
そうすりゃあ、私が、車椅子から立ち上がっても、誰も驚かなくなるだろうに。
そういえば、昔、私のアテンダントしてくれていた女の子、
お遊びで、私の車椅子に乗って、買い物に行ってたな。
車椅子で行くと、「カッコイイ黒人のお兄ちゃんが寄ってきて、高いところのものを取ってくれるの。」だって。
というかさー、TOYOTAのコンセプト・カー、i-Realと電動車椅子の区別がいまいち、よく、私には、つきません。
(それ言ちゃあ、終わりか)
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歩くことが、好きである。
普段、外では、電動車イスに乗っているのだが、家の中では、歩いて移動している。もちろん、転ぶこともある。ただ、それれ、生活の一部となっていて、自分自身にとっては、別に、どうということもない。
外を、歩くことも、好きである。この秋は、Gちゃんという、最高のパートナーを見つけ、土曜日ごとに山に入った。と言っても、冬山とか行ってしまう本物の山屋から見れば、散策程度のものだろうが。登山靴を履いて、山道を歩くのは、気持ちがいいのである。時より、山道に顔を覗かせているゴツゴツした岩も、サクサク踏んでいける。もちろん、こんなことができるのは、Gちゃんの支えがあってのことなのだが。山道を、汗をたらして歩くことは、フランス料理のフルコースを頂くことや、良質の小説を読破するくらい満足感がある。
昔、子供の頃、母がしてくれた訓練の甲斐あって、少し、部屋の中を歩けるようになった。6歳の頃の話だ。だから、歩けるようになるまで、訓練には5年もかかっている。
小学校の高学年で、母や先生に背負ってもらって、長野の蓼科・八島湿原や、奥日光を経験した。その頃、体が小さく、身長1m20cm、体重20kgくらい。だから、背負ってもらうことができたのだろう。中学に入ってからも、体が、急に成長することはなかった。
小学校で、山の気持ちよさを知ってしまった私は中学で、丁度、その年に新設されたワンダーフォーゲル部に入れてもらった。むろん、初めから、山に行けるとは思っていなかったが、そういうものに触れてみたかった。もちろん、ワンゲルは、運動部だあり、毎日、トレーニングがある。顧問の先生の方針で、裸足で、校庭や外を走ることもあった。その頃、体が小さかった私は、蟻が大きな木の葉を引く力があるのと似て、運動能力はあったのだろう。学校の周りを4周、2km程度、50分かけて、走った?こともある。また、家から学校まで350mくらい、20分かけて、歩いて登下校していた。
高校に入ってから、体が成長したが、それでも、必修のマラソンは、男子の10km、1時間以内を、2km、1時間以内という設定にしてもらって、参加した。ちなみに、大人の平均の歩く!速さが時速4kmである。もちろん、母に見守られながら、走る?のであった。母に付き添われ、走るなんて、高校生にとっては、恥ずかしいのであるが、走らなければ?卒業できない。必死であった。
日本で、大学に入って、バスや電車など利用して、一人で歩きで出かけるようになったとき、案外、楽にできたのは、高校まで、体動かしていたからだと思う。駅の階段や電車・バスの乗り降りなど、中学や高校で行った南アルプスや八ヶ岳の岩場を思い出せば良い。自分で登ったといえば嘘になるが、登り方は知っていたし、駅の階段やバスのステップは、山の鎖場そのもののような気もしていた。
22歳で、アメリカに渡り、まず、大学付属の英語学校の紹介で、身障者学生の支援機関を訪ねたとき、即決で電動車椅子を貸してくれた。1ヶ月$100だった。その瞬間から、私の車椅子生活が、はじまった。電動車椅子に乗って、後ろにディバッグを背負わせれば、重い本でも、食料品でも運べてしまう。自立できるのである。時速5kmで、一度の重電で10km強、1日、デート?して街を歩いても平気である。デート?、いや仮の話である、仮の (相手は、歩いてばかりなので、かなり体力使うと思うのだが)。
とにかく、電動車椅子は、ママチャリ(婦人用自転車)のようでもあり、便利なのだ。
しかし、自分では、ママチャリ感覚だが、アメリカ人にさえ、歩くことができないかわいそうな人と、見られることが多いようだ。誰が、車椅子に乗っている人を歩けると、イメージできようか? 私が、家でやるように、うっかり車椅子から立ち上がろうとして、まわりの人を、慌てさせたことが、何度もある。言語障害があるので、とっさに弁解できない。そんな時、「本当は歩けるのに。」と思いつつ、車椅子に身を沈める。心も、沈んでいく。せっかく、自立するために、電動車椅子に乗ったのに、それが、裏目に出てしまうのだ。大好きな犬たちにも、車椅子が怖いらしく、逃げられることが多い。
電動車椅子を使い出してから、歩く機能も、驚くほど、落ちてしまった。今は、30分で500mが精一杯、転ぶことも多く、歩行に安定性がかけていると思う。電動車椅子を使う代償も、決して、軽くない。今にして、そう思う。
モール・ウォーキングなんていうスポーツも、あるらしいが、繁華街で歩いて、転べば、危険が伴う。まあ、社会の目、人の目も、そうやすやすとは、変わらない。もちろん、私が、歩く姿を見て、暖かい視線を送ってくれる方も、数多く入ることは承知しているのだが…
だからこそ、歩くことが、余計、楽しく、いとおしく、思う。山歩きは、本当に楽しい。いつか、Gちゃんと、スイス・アルプスの麓でも、4000m級の頂を眺めながら、えっちらおっちら、歩いてみたい。密かな、夢である。
「だからさ、毎日、ジムに通って、20分でいいから、エアロ・バイク、やりなさいよ。」って、聞こえてくるのは、空耳だろうか?
今の状態です。
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今日は、ある会に参加したあと、友人にニジヤに連れて行ってもらった。
ニジヤで、かなり大量の食料を買い込んだ。今月25日に日本に立つまで、もうニジヤでの買い物は、もう、しなくても良さそうだ。
買い物の途中、その主婦をしている友人に、「お菓子とかは、いらないんですか?」と聞かれた。
確かに、自分の頭の中に、お菓子を買う、というのが、入っていない。別に、お菓子は、嫌いなわけではないが…
自分で、ニジヤに買い物に来ていたときは,『まず、必要なものを買うべし。』という鉄則があった。お菓子は、余分なものであり、必要とさせない。運ぶこともできない。よって、買わない。ある意味、私流・自立生活の厳しさである。
子供の頃は、どうだったのか? 母に言わせると、『あまり間食しない子』だったらしい。お菓子は、食べなかったと言うが? 私が、覚えている範囲では、お菓子は、食べれなかったというのが、本当のところだろう。まず、手が利かない私は、飴やキャラメルの包装紙を剥くことができなかった。要するにお菓子があっても、誰かがいなければ、口にできないわけである。そして、飴玉やキャラメルは、口に入れても、下を使うことが下手で、うまく転がせない。飴玉は、口にいれ、喉につまらせた経験があったかも。好きだったのは、桃の缶詰。やわらくて、甘くて、あまり噛まなくてよい。
道理で、昔、私の膝歩きや、歩行訓練に、桃も缶詰を利用したわけだ。部屋の反対側に桃の缶詰を置いて、あそこまで歩けたら、一つ食べていい。(もちろん、母が食べさせてくれるわけで、自分で食べるわけではないのだが。)一つ、食べたら、その缶詰は、部屋の反対側に持っていかれる。私が歩かないと、演技して、母が食べてしまう。それを、2往復くらいすると、もうお昼になる。今、考えると、私も、よく飽きもせず、こんなものに付き合ってられたと思う。
小学校に入り、少し立つと、お小遣い、500円くらい、もらうようになる。それで、パラソルチョコレートや、アイス・キャンディとか買って食べた。お菓子を買いにいくときは、大抵、母がついていくのだが。
中学に入ると、お小遣いがなくなった。私は、家計が大変なのかと思っていたが、大人になってから聞いたところによると、母は、「どうせ、買い物には、私が、ついて行ってお金を払うのだから、小遣いの必要はない。」これって、大人の言い訳だよね。お小遣いはあった方が良いと、思う。で、サイド・エフェクトとして、買い食い、および、賭け事、という遊びはできなかった。
高校は、3年間、母が付き添ってくれたので、下校途中で…という遊びとかできなかった。
かくして、お菓子とは、未だにあまり縁がない。
コーヒーは、飲むけどね。あれは、高校一年のバレンタインに好きだった女の子にもらったコーヒーカップが原因かもしれない。その後、数年間、毎朝、そのカップで、コーヒーを飲んでいたのだから。まっ、その話は、別の機会に。
先月、Keizai Society というシリコン・バレーの日本人を中心としたビジネス・パースンの集まりに、出席した。
その時、日本から来られていたAさんと、名刺の交換をさせてもらった。その後、Aさん、こちらで起業しているGさん(このブログによく出没している偉人)と会い、いろいろ吹き込まれた(?)らしく、私のことを記事に載せてくれた。
その記事です。
[jp] 米国のソフトウェアビジネス事情
この様なつながりを、大切にしていきたい。
昨日、家の近くに、新しくできたRestaurant GONBEIに行ってきた。前のオーナーから、店舗を買い取った形。(少しばかり、デート気分だったかも。)
カツ・カレー1皿、$6.50.この価格設定.安い!と思った。GONBEIは、チェーン展開しているからか? そこら辺、気になった。
前の店舗から、従業員を引きついているので、顔見知りの人が、「また、来てくださいね!」と。食事を一緒にしてくれた女性からは、「いさむさん、ここでも、人気ありますね!(笑み)」と。
いえ、目立つだけです! 苦笑
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夕方、帰宅して。
暖房をつけ忘れて、寝込んでしまう。
深夜、寒さで、目が覚めて、
冷えきった部屋で、熱いコーヒーを入れる。
こういうのも、一種の贅沢かもしれない。
これで、ドアの外が銀世界だったら、
いいのになあ。夢心地。
でも、本当に-30℃にもなるカナダとの国境沿いの銀世界だったら、
凍死か、少なくとも、風邪をひくか。
ちなみに、ここら辺は、無霜地帯です、はい!
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学校のClient / ServerのNetwworkに関するエッセーの宿題をやっている。ただ単に、文章で、答えるやつ。その1つにUDPとTCPの違いについて、説明せよという問いがあった。この問いの答えを、簡単に言えば、TCPは、信頼性があり、UDPは、信頼性がない、ということになる。TCPは、送られてこなかったパケット(データー)があるか、検出でき、再送信をリクエストできる。大きなデーターをパケット単位に小分けにして送り、受信側で、組み立てる。UDPは、抜け落ちたパケットを感知することができない。
では、ネットのURLなどをIPアドレスに変換するDNS servverは、なぜ、信頼性の乏しいUDPを利用しているのだろうか? 自問自答してみたら、答えが出た。サーバーに送るリクエストも、返ってくる答えも短く、1つのパケットで済んでしまう。2つ以上のパケットにまたがるデーター、つまりリクエストや答えなら、packet lossは、致命的な障害だが、1つのパケットに収まれば、来るか来ないかの問題のみになり、来なかったら、来なかったまで、不完全なリクエストや答えが存在しない。だから、信頼性の乏しいが速いUDPで十分となる。
元同僚のDNSの専門家に、メールでウラを取ったが、この解釈で正しいと言うことだった。
いちいち、ブログに書くような話題でもないが、まあいいか?
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学校の宿題で、Java RMI client serverプログラムを書いた。シンプルなヤツ。
そこで、ちょいミス。
RMIServer(rmiregistry起動後のことです)を起動するとき、Security Policyが必要で、システム側に渡さなければならない。そこで、
1。java FirstProblemServer -Djava.security.policy=RMI.policy
を、やると、バグる。
2。java -Djava.security.policy=RMI.policy FirstProblemServer
で、正常に起動する。
なぜか?
1。では、FirstProblemServerのmain(String arg[])に、policyが、渡ってしまう。2。では、JVM内で処理される。
ちょいミスのポカだけど、やる人、多いかも、僕を含めて。
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